リンク: Sankei Web 読書 【私の修業時代】四方田犬彦さん 甘く、苦かった青春のケーキ(11/07 05:00).
パレスチナやセルビアを訪ね歩いた『見ることの塩』を出して話題をよんだ四方田犬彦氏。実は「子供のころから料理人に憧れていて、とりわけケーキを作る人になりたいと思っていました」という。
小学校の調理実習が大好きだった少年は、大半が東大に進むエリート中学・高校へ。が、あるきっかけで本当にケーキ工場で働くことになる。昭和四十四年、高校二年の冬だった。
ビートルズや「ガロ」の漫画、未知の文学に心躍らせているうちに、大学紛争の波は高校にも押し寄せ、氏もまた、バリケード封鎖に加わる。忘れもしない十二月八日。封鎖が解かれ、あっけない幕切れとやり場のない怒り、徒労感…。当時の模様は昨年出版された批評的自伝『ハイスクール1968』に詳しい。
「高校をやめようと思い、銀座のケーキ工場で見習工として働き始めたんです。私の中で労働とは、何かの洋画で見たデコレーションケーキの製造光景だったから」と振り返る。
任された仕事は単純作業。「巨大な鍋に一日四千個の卵を割り入れる。左手でヒョイと卵をつかみ、それを右手で受け止め、鍋の角にたたきつけて中身を落とし、殻をバケツに捨てる。テンポよく機械的に…。今でも、私は片手でしか卵を割れない」と苦笑する。
ロウソクが倒れたり歪(ゆが)みが生じたケーキは処分される。「いくらでも食べていいよ。ただし建物内でだけだよ」と上司のありがたい言葉。が、日給千円の身で、二千円のケーキをパクついたのは二日だけ。「三日目には、飾りをこそぎ落としてカステラだけ食べた。後は匂いだけでうんざり…。結局、二カ月ほど働いた後、高校へ戻ることになりました」
こうした経験を境に抱え込むことになった「孤独」は、映画評論などで知られる氏のその後の人生に微妙な影を落としたという。
「ケーキをほとんど口にせず、十年後、女性に誘われて食べたとき、日本のケーキの進化ぶりにびっくりしました」と笑う。甘くて苦い、人生修業の味。今は、世界の食文化に限りない好奇心を寄せる。
「いつか『檀流クッキング』(檀一雄著)のような本を出すのが夢なんですよ」
藤田綾子
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よもた・いぬひこ 昭和二十八年、兵庫県西宮市生まれ。明治学院大教授。近著に『ラブレーの子供たち』『ブルース・リー-李小龍の栄光と孤独』ほか。
(11/07 05:00)
※ 学生時代から少し上の世代の方として、四方田犬彦氏のお名前は知ってはいましたが、ニューアカデミズムという言葉(今は誰も使いませんが)にややペダンチックな印象あるいは抵抗感を感じて、著書には手が届きませんでした。記事を読んで、『結局、二カ月ほど働いた後、高校へ戻ることになりました』という孤独感とは四方田氏なりにどのようなものなのか、少し親しみを感じた面もあり、著書を読んでみたくなりました。
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